日曜日はなかった。

Sunday is dead. 日々の雑感。見たアニメや映画、読んだ本とかについて。

選ばない勇気。感想『放課後のプレアデス』

■グループセラピーアニメ

受験を控えた中学生のときだ。学年集会で進路選択を面前に三角座りする僕たちへ、あの若い生徒指導教員は言った。

「君たちの中には、行きたい高校や将来の夢が具体的に決まっている子ももういるかもしれないですね。

大変結構です。そんな自分の進路をもう選んだ子のうち10%は本当に優秀な子なんだと思います。でもきっと進路を決めた子の中で、ほとんど90%の子は、誰かに操られていますよ――」

 

そういったことがあった。片隅においておいて、なんとなくそのときのことを思い出したアニメだった。なので勝手に引き釣り出された僕の感想を垂れ流したい。

 

見終わったのは『放課後のプレアデス』です。

僕はワクワクして見ていた。たいへん尊いアニメだった。

 

 

中学生女子たち(かわいい)がプレアデス星人と証するクラゲのような宇宙人に選ばれ魔法を授けられて、壊れた宇宙船を直すためにエンジンのかけらを集めることになる。でも欠片集めを邪魔する少年がいて……というあらすじだ。

 

宇宙人が魔法を授けてくれると不安な気配しかしない現代アニメ事情だ。大丈夫、代償に希望と絶望の相転移をしたりしない。とても優しいアニメなのだ。

放送時間が深夜ではなく土曜夕方6時のNHK教育でやってるアニメとしか思えないほどです。こんな子供に見せたくなる良作を夕方でやらぬとは罪深い世の中になった。

 

基本は毎話欠片を集める5人の少女たちひとりひとりがクローズアップされ、その悩みの解消がストーリーの軸だ。その悩み自体も外野からしたらちっぽけかもしれないが、自分のこと、親友のこと、家族のことと等身大の少女たちにとっては苦しくて深刻で大きな悩みを抱えている。つまり中学生日記だ。

前半はそんな悩める思春期の心を互いに吐露しあって、アドバイスしあう少女たちの心理セラピーをみるアニメだった。

 

これにたちまち僕はノックアウトされた。病気と偽って不治の病に犯された人たちのセラピーに参加しまくって心のデトックスをするのが趣味の映画『ファイト・クラブ』主人公みたいに、南極の澄んだ空気を胸いっぱいに吸ってる気持ちになるアニメだった。

 

そうとも、すばるちゃんたちは清いが僕は汚いんだ。

 

さて、これだけだと話は地味に思えるかもしれないが、とんでもない。

エンジンの欠片は大気圏から月、太陽から銀河団の外まで話数を追うごとにスケールが大きくなっていった。インターステラーも真っ青だ。

だから一見小さな彼女たちの悩みも、背景が宇宙でコズミック壮大さに満ちた場所がセラピー会場。

しかも宇宙現象が比喩に使われたり、演出に使われることになって背景が壮大なら物語もどうしたって壮大に見えてくる。

 

スケールの大きい話を撮りたいなら背景にでっかいモノを映せ。

まったく間違いない。そういうメソッドが僕の胸へ響くのだ。

 ■選ばなかったこどもたち

 少女たちは「変わりたい」と思っている。今の自分に自信がなくて、自分たちは周りにおいていかれてしまって、何も選んで来れなかった過去に悩み、後悔している。

 

しかし魔法の源は、彼女たちが何も選んでこなかったことによる。何も選ばなかった無限の可能性が魔法の源になっているのだ。

 

とんでもねえエネルギー源である。

やっぱり宇宙人は残酷だった。

君が何者でもなかったからこそ何者にでもなれると平気で言ってくるあたり、人類とは異なる精神構造を持った生命体だ。わけがわからないよ。

 

アイデンティティにもがく思春期の十代が「君はほんと なんでもないなあ」って褒められても全然うれしくないんじゃないの。でも彼女たち全員がそれを自覚しているグループでそれゆえの魔法なので、宇宙人もヘイトを溜めずになかよしだ。

 

ここがこの作品のすごいところだ。

だって高坂麗奈さんならキレてるよ。

 

高坂麗奈さんは同時期に僕が夢中になっていた『響け!ユーフォニアム』の主人公・久美子ちゃんのソウルメイトです。

ユーフォは特別になりたい物語だった。

冷めた性格でただなんとなく幼い頃からユーフォニアムを続けていた主人公・久美子ちゃんが高坂さんの影響で、ユーフォニアムを好きだと自覚し、演奏に青春を賭す選択をするまでを描いた成長物語で、たいへん清く正しく面白いアニメだ。尊い。

 

 

 

そうとも正しいのだ。そして大いなる感動と小さな羨望と後悔を持って、パンフレットの薄さに収まる己の青春を思い出したりするのが僕です。もしくはあなた。

 

こういった青春の成長物語は「何かを選ぶ」という変化を成長として見せることの多いジャンルだろう。

 

しかし『放課後のプレアデス』は「中途半端」で「何かを選んでいない」ことに対して、すごく温かい視点を持った作品だと思う。

 

少女たちは自分たちが何者でもないことへ自信をなくし、ライバルの少年は何者になりようもない未来へ絶望しているのに、宇宙人は何者でもないことこそパワーだとみなしている。

 

だってこの宇宙人、自分たち一族が滅ぶと決まった未来しかないなら、滅ばない選択が見つかるまで選ぶことを放棄して、宇宙から別の宇宙へ逃げ続けるっていうめちゃくちゃなことをやっている種族だ。

 

こんなダイナミックな非成長願望。

 

いつでも後退、後ずさり。悪い選択支しかないならずっと逃避していればいいのだ。それは希望なのだと、この宇宙人はポジティブにいいのけたのだ。

 

僕は納得した。

その告白に泣いてしまった。

 

もちろん彼女たちも最後選ぶことになる。欠片を集めきって、すべてを終わらす選択だ。これは「選択する」という成長だ。

 

でもこの選択は全てをリセットして、彼女たち自身も出会っていない初めに戻す選択だった。

 

彼女たちは選択して、選択していない瞬間に戻ったのだ。

 

人はそう簡単に変われない。

私たち変われたかな?

そう自問自答し、変われたよ、と答えをだす彼女たちに、僕は変わっていないと声をかけよう。

君たちは最初から、そうだったんだ。

そうできる力を持っていたのだ。

 

彼女たちの成長は、40億年のやり直し(生命誕生からリスタートしている!)で自分を思い出して、自覚し、自分に希望と自信をもつことだった。

 

「そうか、ぼくはここにいていいんだ」

 

だった。

 

劇エヴァじゃあないが、ガイナつながりだ。40億年前の渚のシーンも象徴的だったことだし。

 

と、長々とまとまりなかった。

 

放課後のプレアデス』は心底優しい物語だ。

まあ、最近何かと選ばなくちゃいけない現代に疲れた人々の心へ染み渡る良作だ。

 

己の情けなさに負け気味の諸君へ、これは視聴を進めたい。

 

なんだやっぱりセラピー目的じゃないか。そうだよ。