日曜日はなかった。

Sunday is dead. 日々の雑感。見たアニメや映画、読んだ本とかについて。

ふたりは反プリキュア!感想『少女終末旅行』

■つくみず『少女終末旅行』がここにあります。

 

少女終末旅行 2 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 2 (BUNCH COMICS)

 
少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

少女終末旅行 1 (BUNCH COMICS)

 

 


僕は今プリキュアを見ながらこれを書いています。
絶望に人を閉じ込める怪物・ゼツボーグとプリンセスプリキュアたちが戦っていました。
女子中学生が人々を救うために悪へ抗う日曜朝の時間は、僕に希望を与える時間。
とりあえずそれを踏まえておいてほしかった。これは閉じ込められてしまった後の世界だから。
 
 
表紙を見てほしい。ゆるふわっとした絵柄の女の子が廃墟にいます。
 
2人の少女がケッテンクラート(半装軌車、オートバイ後部にキャタピラの荷台がついたロマン乗り物)に乗って、なぜか滅んでしまっている多層構造の巨大都市を旅している。彼女たちは、終わりのないほどだだっ広いコンクリートの建物の中で忘れられた文明の残骸を漁りながら、移動と補給を繰り返す。
 
弐瓶勉『BLAM!!』のメガストラクチャーをうろうろしてるゆるふわ女子。それだけの状態であるといって差し支えない。
 
いわゆる終末ものである。タイトルでそれはわかる。
最近話題のアニメ『がっこうぐらし!』と同じジャンルだと思っている。終末日常系ってやつでしょ。分かったふうな顔で僕は言ってやる。
 
でもゆるふわなんだ。そう、ゆるふわ。
ゾンビにも襲われないし、世界に疫病がはやりもしていない。
胸踊る冒険もないし、危険な生き物に襲われるアクションもない。
サバイバルの工夫も、必要以上の生きる努力もいらない。
だったら絵が魅力的過ぎるのかって、表紙にぬぼんと気の抜けた顔をした女の子がいることから察してほしい。
 
ないないづくしだ。それって面白いの。
 
じゃあ、逆に聞くけど、こんな世界で面白いことって見つかると思うの。
 
水と食料だって移動さえすれば、ギリギリ生きていける程度に缶詰や携帯食料が見つかる。圧倒的にフラットでむらのないディストピア
ただ日常に横たわるのは、この先もずっと食料や燃料が手に入るかどうかわからない不安と、静かな死の気配。
 
逆にいえば、彼女たちの不安はそれ以外無い。
 
世界に対する知識も未来への期待も何も得ることができない。これが究極的なさとり世代なのだろうかってほど何も無い。
 
最低限の日常に塗りつぶされているのだ。日常を維持する程度の努力を強いられていて、でもその努力を惜しんだ脇にはいつも死の淵がのぞいている。素朴な日常をやめることはできない。
 
なのに手にとって読んでいたら、つい、どこかこういう日常に憧れてしまう。
 
2巻で作者があとがきで呟く「ただ生きるためだけに生きれたら」という危うい幸せに同調してしまう。
 
そこが面白い。
彼女たちの淡々とした行く当てのない旅程を切り取るだけの作品なのに、唯一無二ってくらい、恐ろしいほど寒く乾いた日常感がある漫画だ。そうとも、この殺人的に徹底した静寂さが魅力なのだ。
 
そもそも終末ものが僕は大好きだ。
 
滅びに振り落とされてしまわないよう抗う人間の意地や、変わってしまった仕組みに適応して生きる人々の歪な文化が大好きだ。
 
今までの固定観念が通用しなくなってしまった時、人間の本質ってなにか、いっちょまえに僕は考えたりしてしまうのだ。
薄っぺらい僕の考える本質って、かつてのコンクリートジャングルで近視眼的な享楽に明け暮れるってものだよ。黒いかまぼこ板の導きで棍棒を振り上げたはじめの人や、肩パッドをモリモリ盛って短い人生をつかの間スパークさせる無茶な冒険だ。
 
だから少女2人だけで文明崩壊後の灰色の世界に生きる彼女たちへは素朴にも、
人狩りにあってしまうのでは?
そんで囲んでレイプされないの?
って下衆い疑問がグイグイ首をもたげる。
 
はい。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を見たせいだよ。
 
モラルや倫理のへったくれも自然な必死さの前に吹き飛ぶ。ウォー・ボーイズたちはイモータン・ジョーに生きる目的と価値を与えられて、認められた死の先には希望の扉がある。正常な息子が生まれることを願って女性の拉致を繰り返す支配者。その支配者にギターをかき鳴らす舞台を与えられた盲人。どこかにここよりましな土地があると信じる人々。終わってしまった文明を後に、野生的なパワーで生きる希望をもっている。
 
これが終末の人間像だと思いがちだった。
 
だがこの少女終末旅行で面白いのは、そんな希望がまったくないことだ。むしろ人間が何か希望を持っていると、積極的にそれを折っていくスタイルでもある。それもゆるふわ顔で。
 
じゃあなんで銀色スプレーを口に吹きかけるテンションが少女終末旅行にはないって、人口密度がめちゃくちゃ低いせいだと思う。
 
希望は世界にむらがあって初めて生まれるのだ。平均化された日常で、恐ろしいほど過疎化が進んでいる世界で、彼女たちが稀に出合う人たち全員が親切だったのは、それはただ、今まで孤独だったからだ。自分以外誰もいないアスファルトの上で、英雄を目指せるだろうか。ずっと希望がなかったからマッドマックスしてもしかたない。
 
作品の肝にあるのだろう。2巻で「絶望と仲良くする」という言葉が出てきた。
 
希望を与えてくれる物語は世に氾濫している。そんな希望を摂取して僕などは生きている。希望は食べても食べても底なしで、いつか野望になって狂気にだってなるかもしれないし、だったらきっとないはずの底が突然抜けて絶望になるほうが早いのだ。そんな時は、体のどこかに諦念をすえて「絶望と仲良くする」見方があっても良いのです。絶望の檻に閉じ込められてどこにも行けなくなったときは、絶望を受け入れればいいんだよ。
 
そう本当に思っているのか思っていないのか、くりくりした眼のまんま、ゆるふわ女子が2人、廃墟にいました。
 
 

※ 僕は『BLAM!!』ヒトに薦めるマンだからメガストラクチャーが大好きです。

新装版 BLAME!(1) (KCデラックス アフタヌーン)

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