リアルタイム恋愛シミュレーションゲーム。映画『蜜のあわれ』感想
二階堂ふみがめっぽうエッチという話を目ざとくキャッチしたので、映画「蜜のあわれ」をこのまえ劇場へ見に行きました。
【映画パンフレット】 蜜のあわれ 監督 石井岳龍 キャスト 二階堂ふみ, 大杉漣, 真木よう子, 高良健吾, 永瀬正敏, 韓英恵, 上田耕一, 渋川清彦,
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そのツイートに載っていた金魚少女のイラストのたいそうひらひらかわいらしい人外感に惹かれ、おじさまと少女という取り合わせへ強烈にエロの匂いを嗅ぎ付けたところで見に行く決心を固めた私の身体は気付いたら劇場に座っていたのです。
と、そんな思春期の中学生男子がピンク映画行くみたいなメンタルで見に行ったものだから、もちろん始まってすぐにスクリーンへ丸写しになった二階堂ふみの丸くつるつるしたお尻に目を奪われ「評判通りエッチ!」とにっこり満足し、「頻発する効果音が安っぽいな~」とか何様な上から目線の態度で鑑賞していたんですけど、
こいつ、これからボロボロに泣きますからね。
スタッフロール後、赤くなった目が恥ずかしいから下向いて逃げるように劇場を飛び出しますからね。
■頭に少女を飼っている
いいですか。ネタバレは辞さないぞ。
私原作はどうか知らないんです。ただこの映画では、室生犀星自身であろう老小説家である「おじさま」が、連載している劇中作こそ「蜜のあわれ」であることが見ているとわかります。
だからこれ、入れ子構造のメタフィクションになってて、虚構と現実がオーバーラップしてる不思議な作品なんですよ。
メッタメタな作品好きなので、ただの古典の焼き回しロマンポルノかと思って油断してた僕はここで「お?」ってなりまして、安っぽい序盤の効果音も「これワザと多用してる?」って疑りだします。
完全にエロ中学生目線じゃなくなってくる。
二階堂ふみの演じる金魚少女の「赤井赤子」は、おじさまに飼われている金魚です。はじめはただ無邪気な少女。けれど、おじさまと恋人になることを望み、おじさまと肉体関係にある女性に嫉妬したりと、「女」になってきます。
でも、赤子はおじさまの小説の登場人物なんです。
赤子自身を写した鏡は割れて複数の女性の顔が現れるシーンの通り、そのモデルは関係相手の女性も含めた、おじさまの知っている様々な女性の影の合成です。
いっちゃえば、赤子は小説家であるおじさまの妄想なんです。
これ、金魚の化身とか妖怪とかそんな感じかと見るまで思ってたので、正体が比較的早く明かされてびっくりしました。
そのくせおじさまの頭の中の妄想のはずが、現実に不自然なく存在していて、非常に幻想的。
どこから妄想で、どこから現実か。
この切り離せない感じ。
ここらへんの展開がたいへん面白くて。
おじさまは少女が自分の妄想で小説で、自分が描写し続けていないと消えてしまう存在であることを知っているのに、少女はそれをわかっていない。
赤子はおじさまを愛するキャラクター性が確立していって、無邪気な少女のままでいようとしない。おじさまに束縛されることを嫌がり、自分なりにおじさまを愛そうとする。
それが例えば、劇中では他の金魚の子をはらんだ腹をおじさまに撫でてもらうことで互いの子として残そうと考えることで、おじさまの愛情を独り占めして、その証を作りたい赤子に対して、おじさまはずっとただ純粋無垢な愛玩少女のままでいてほしいんです。
赤子のキャラクターというものが、作者の手を離れて自走を始めている。
書き手であるはずのおじさまの望む方向ではないほうへ、自由奔放に進んでく。
嘘かホントかわからんですが、小説家の話で、うまくできたキャラクターは勝手に動くって聞きますよね。書いてる方も結末がわからないってやつ。アレなんでしょうね。
さて、実はおじさまは、病気でもう先が長くない。
盟友・芥川龍之介の妄想におじさま(室生犀星)は劇中で吐露します。文学を残し、生にしがみつかず美しく死んだ芥川を理想とするも、死ぬのは怖いし生や性に執着してしまうし、自分の残す文学にも納得できず、最愛の小説の登場人物さえ自分の自由がきく展開に描けない。
作者とキャラクターの愛情の行き違いが切なくて堪らないねぇ。
幽霊のキャラクターが出てきて、それもどうやらおじさまを愛する小説の登場人物なんです。
ですが、おじさまは、そのキャラクターの登場を否定するんですね。なぜなら、その幽霊がおじさまの病状の悪化に伴っておじさまの家へ近づいていくように、おじさまにとって忌むべき「死」の象徴なんです。
でもこの幽霊もおじさまを愛しているんです。
けれど、選ばれなかった物語だった。
いま作者に必要とされていない物語でも、作者を愛してる。
こういう作者と創作物の相互依存みたいな関係のストーリーはグッときちゃうんですよ!
きちゃうんですってば!
■まぼろしでもウソでもいいじゃない!
「喪のまま結婚する事無く八十数才になった俺」
とかで検索かけると出てくるネットのテンプレがありまして、
まあ、たいへんベタベタな展開。
「オチに困ったら登場人物は殺して、幸せな夢を見せればいい!」
なんかの漫画で言ってた気がする。漫☆画太郎とかの。
でも自分はこの構図にめっぽう弱い。
絶対に来ると先を読んで身構えていてもモーレツに弱い。
完全に琴線で、実家の犬が死ぬ想像か、このテンプレ思い出すとチワワなみに目が潤みますからね!
んで、まさに「蜜のあわれ」はコレしてきやがりました。
ラスト近くで、家出した後に、死んでしまっていた赤子(金魚)が、作品の冒頭で夢見ていた、金魚の彗星となっておじさまの元にやってくる。
死にゆくおじさまの手を取って、ふたりはダンスを踊るのです。
だってこれ、夢か妄想でしょ。
傍目にクッソかっこわるい最期ですよ。
でも、僕の涙腺ボッロボロ。
この映画全編通して、冷静に考えればほとんどラブプラスやってるおじさんだよ。
妄想の美少女と恋愛シミュレーション。
寧々さんとか凛子ちゃんとかと恋愛や喧嘩したり、熱海で2人部屋に泊まったりしちゃうようなもんですよ。3DSのかわりに脳内なだけで!
でもこんな死に様、ダメダメなんて言えるわけないじゃないですか。
この間読んだ『月世界小説』でもそうだったけど、よく言われる希望だってフィクションのひとつに変わりはないんだろうよ。
そう思ってしまうので、すげえ情けない話、この映画はたいへん胸にきました。
結局、何がどうだかって話なんですが、二階堂ふみがエロかわいかったってことと、それだけじゃねえ切実な内容で私大満足!って話。
怪人エレジー 映画『仮面ライダー1号』感想
ゴーストのOPで映画のネタバレを容赦なく食らってしまうので、これ以上は我慢できず!と、『仮面ライダー1号』見てきました。
しかし自分、夕方お茶の間のブラウン管にたれ流されていたファミリー劇場を幼い脳でぼんやり眺めていた程度の初代仮面ライダーは軽い視聴。人類の自由と平和を守る仮面ライダーより悪の組織のショッカーのほうを応援している捻くれた子供だったし、ライダーより藤岡弘探検隊を経由して藤岡弘が好きっちゅうまるで良くないライダー視聴者です。果たして、そんな人間が今年の春映画『仮面ライダー1号』を満足に楽しめるのでしょうか。
西部劇みてえなシチュエーションですかよ。
結論から言うと、「悪の組織が好き」「藤岡弘の良さみ」といった私のごとき良くない人間に絶対おすすめな、たいへんジャストフィットする面白映画でした。
■悪の組織の内ゲバ
今回なんと、世界征服をもくろむ悪の組織ショッカーが内部分裂を起こし、一部の若手ショッカー怪人が離反して企業「ノバショッカー」を興します。
そう、起業するのです。しかも株式会社。
(社内決起式のシーンでco., ltd.とある! ちなみにこのシーン新入社員の入社式に見える)
武力で世界征服などしてどうなるのだ。そんなものは古臭い夢。これからは経済。企業形態で経済面から世界を征服するのが新しい悪の組織だ!
と、現実におきかえると悪趣味極まりないものを感じつつ、電気狼怪人のウルガは元ショッカー怪人・戦闘員たちを連れ、エネルギー会社を設立するのです。
この時点でもう面白い。
夜のバーで、ノバショッカー戦闘員がショッカー戦闘員と酒を飲みかわすシーンは「お前もノバショッカーに来ないのか?」と古巣に残る友人を誘っているのだと「イーッ!イーッ!」しかしゃべってないのに如実に伝わる。切ない。その後の喧嘩もコミカルなのに切ない。
ショッカーは世界征服という夢を追っているのです。なのにいまいち場当たり的な行動しかしませんし、かつてショッカー首領がいたころの熱狂を懐かしみ、取り戻そうとしているだけのごろつき集団にしかみえません。オカルティックで不気味な秘密基地も老朽化して工事現場じみて、湿っぽそうで哀愁を誘います。
老いてしまった夢追い人の巣だと思うと、もうつらい。
ウルガ君たちがそんなショッカー先輩怪人をバカにして、新しい今にあった組織を興したいと思うのもわかります。
でもそんなノバショッカーもウルガ君やるじゃん! 頭よさそう! とはならない。
日本中の電力を独占してから、それを新エネルギーとして政府に売るやり口はヤクザだし、出力あげて設備を爆発させるやり方はどっか抜けています。
ショッカーと争ってアレキサンダー大王のアイコンを奪っちゃうのは、結局強大な力を求めてしまう、いつものショッカーとあまりかわらないんじゃないの?
ここらへんで、たまらなく怪人たちが切なくて。
あ~ そうだよなあ~ お前たち全員脳改造うけてるもんなあ。ショッカーのやり方以上のことが骨の髄からできないんだよなあ。
あの日の熱狂を追い続ける未来を失ったショッカーと、それに嫌気がさしたのに古い時代の慣習から逃げ出すことはできないふうにできてるノバショッカー。
怪人たちの動向が、この映画ずっと悲しくて仕方がなかったです。
あと、ノバショッカーの女幹部は一人だけ怪人体がないのですが、たぶんショッカーの非戦闘部門に属していた人で、どうもあの雰囲気ではウルガのことを愛してたんだろうなと思います。
なんかそういった切なさがいくらでも湧いてきます、この映画。
■終活の怪人たち
今回の藤岡弘(本郷猛)、長きにわたる戦いで肉体に限界が訪れており、それで死期が近いわけです。立花のおやっさんの忘れ形見で本郷猛が育ての親という女子高生との共同生活をするため今回日本へ帰国したようなのですが、どうも、これは穏やかな死を迎えるためみたいですね。
ゴースト視点では英雄として戦い続けていた男の、英雄ではない人間くさい弱い面でしょうか。
そして息絶えて火葬される藤岡弘。
でもここで、藤岡弘は不死鳥のように復活するんですよね。燃え盛る炎の猛烈な上昇気流が、タイフーンの風車を回すことで。
それは女子高生の祈りが通じたかのような奇跡でしょう。死期を悟っていた本郷猛が再び生きて戦うことを決意した熱いシーンです。
しかし私はこれ、ああ、本郷猛(藤岡弘)は普通に死ねないんだなあ。
本郷猛は改造人間であるのだから。
という気持ちでいっぱいになりました。
女子高生に抱き着かれたまま、炎をバックにして微動だにせず立ち尽くす本郷猛(藤岡弘)は、改造人間の哀しみがフルバーストでありませんでしょうかっ!?
ここから藤岡弘というより改造人間「本郷猛」の割合が大きくなっていきます。
今回個人的MVPは地獄大使です。
アレキサンダー眼魂で暴走したウルガ君に対し、まさかのショッカー支部局長との共闘!その最後、ボロボロの地獄大使は本郷猛に「私と戦えぇ!」と涙ながら訴えます。そういったライバルキャラには普通ならラストバトルが待っているのに、「身体をいたわえ」と言って去る本郷猛の酷っぷり。
老いた者たちだらけだ。この映画。
廃れゆく悪の組織の老いた幹部だけが、ライダーと戦って満足に終わることは許されないのです。立花のおやっさんも、若かったかつての仲間たちも消えていき、時代は変わっていきます。
なお、立花モーターズ跡地に残されていたネオサイクロン号を駆り立て、最終決戦へ向かう本郷猛の「おやっさん、一緒に行こう」の一言は涙腺に来ました。
みなが死にゆくなかで、戦い続けることを使命づけられた改造人間を、本当に覚えていてくれるのは老いた悪の組織の幹部だけなのです。
本郷猛を改造したショッカーは憎く、人類の敵です。容赦はしません。しかし、老いた地獄大使だけが本郷猛とショッカーが戦っていた熱狂の時代を再現してくれるの証明なのではないでしょうか。
このねじれた関係が哀しく、個人的に強烈でしたね。
最後、新しい時代のライダーであるゴーストにメッセージを残し、老いたヒーローは去っていきます。しかし日本のショッカーは地獄大使を残し壊滅しました。もしかしたら仮面ライダー1号と地獄大使は、未来に何かを残した老人と、何も残せなかった老人と存在が対照的なのかもしれません。
老いた改造人間たちの寂しさと戦い続ける力強さに妙な感動を得て、私は空っぽの劇場を去るのでした。
ちなみに劇場にほかの人が一人もいないまま映画を見るのは初めての体験でしたよ。